ALIVE

大切な人の突然の旅立ちからどうやって乗り越えてきたのかを綴っています。

劇的に変化した人間関係

今まで味わったことのないできごとで、自分は何なのかという感情に

めいっぱい心が支配されていました。

 

何をどう処理したらいいのかも分からない。
何もする気が起こらない。

 

当時の私は息をすることで精一杯でした。
笑うことも、ご飯を食べて美味しいと思うことも、楽しむことも
そしてその息をして、生きていることでさえも
私は「罪」だと思っていました。

 

なぜなら私が一番彼の側にいた人間だったから。
その私が彼を助けることができなかった・・・。
全ては私のせいだと思っていたのです。

 

当時は実家から自分のマンションに戻ってきたにも関わらず、
一人でいることや、夜、目をつぶることも怖かった。
なので、電気は常についている状態でした。

 寝て目が覚めたら、またこの現実を受け入れなければいけない・・・

そんな恐怖もありました。

 

この暗い時間をどうにか潰すために、友人や年上の知人に話を聞いてもらったりしましたが、やはりここは経験の差が出ます。

 

「たらればの話なんてしたって、仕方ないじゃない」
「死んでもたもんはしゃーない」

 

これは実際に言われた言葉です。
本人たちはきっと悪気はないのでしょう。
でも当時はこちらもそれ以上に心の余裕なんてありません。

 

しかしこういう時だからこそ、その人たちの本性が出ます。
当然こんな話は、私が信頼できると判断した人にしか話しませんでした。
しかし思わぬ言葉が返ってくるのです。

 

なので相手には申し訳ありませんが、私はこのままこの相手と付き合いつづけるのか
ふるいにかけていきました。

 

なぜなら、今後何かあった時にまた同じようなことを言われるから。
自分にとってマイナスな気持ちになるような付き合いなら
この際、縁を切ろうと決め実行しました。

 

仕方ありません。
私が急変してしまったのだから。
人間関係が変わる時というのは、自分が変わった時と言います。

 

でも当時はそんなことも考えず、ただただこれ以上傷つかないように
自分の心を守るために実行しました。

 

ずっと側で支えてくれてたあの人もいない。
そしたら少しでも身軽にするしかなかった。

 

ちなみに6年経った今。
一切後悔はしていません。
むしろ、整理できてよかったとも思っています。

もちろん、これがすべての方に当てはまるとは限りません。
あくまでも私の判断です。

 

でも逆に、より絆が深くなった人もいます。

そんな人たちには感謝してもしきれません。

それは改めて別記事にします。

 

とはいえ、周りもどんな言葉をかけたらいいのか必死だったとは思います。
そんな中から出た言葉でしょうが、
こういう時は自分の心が向くままに行動せざるを得ないでしょうし、
その方が今後の自分のためだと思います。

 

突然、地獄のどん底に落とされたのですから
今はただただ、ご自身を大切にしてください。
もし本当に必要な相手であれば、そう思ったときに何らかの行動をすればいい。
その頃には必ず今とは違う状況ですから、判断内容も変わると思います。

 

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