ALIVE

大切な人の突然の旅立ちからどうやって乗り越えてきたのかを綴っています。

私を支えてくれた人-③

最後の一人は実の妹です。

 

数少ない、私以外に彼と対面したことある人。

 

一度だけ妹を交えて、ご飯を食べに行きました。

それだけに、妹もショックを隠せなかったようです。(当たり前ですよね)

 

私を支えてくれた他の二人には感謝してもしきれないのは当然ですが、

妹については、もっともっとそう思ってます。

 

妹がいなかったら、私は今ここにいないでしょう。

 

彼がいなくなった後、私は何度も自分のマンションの

ベランダや階段から下を覗きました。

 

よく「後を追いかけて」といいますが、私の場合はそうではなくて

「こんな辛い人生、早く終わらせたい」

という気持ちが一番勝っていました。

時々彼もこんな気持ちだったのだろうかと思っていました。

 

でも自分が死んだところで、絶対あの人に会えるなんて思ってなかった。

 

それよりも、この苦しみから逃げ出したくて堪らなかった。

 

でも、もし私が死んだらこの苦しみを妹にも味わらせるの?

というところでいつも止まれていました。

そして、もうこんな気持ちの人は増やしたくない・・・ということも。

 

妹とは女同士ということもあってか、本当になんでも言い合ってきました。

 

特に恋愛感情の整理にはやっぱり女同士が一番。

だから時々

「こんなべっぴんを残してバカじゃない?!」とか。

時々ちょっと冗談を交えながら。

 

こういう支え方は私の場合、親ではできないことだったと思います。

私はまだ、人の親になったことはないのであくまで憶測ですが

やっぱり親は「心配」が勝ってしまうと思う。

「もし後を追いかけてしまったら」っていう気持ちの方が勝ってしまうと思うんです。

 

また、遺体の対面には両親が、通夜・葬儀には母がついてきてくれました。

 

目の前で娘が壊れていく様は、きっと見ていられなかったことだと思います。

それと同時に息子を亡くした、彼の両親を見ているのもつらかったと思います。

 

私にはない、複雑な感情が渦巻いていたと思います。

 

その点、妹は当時小さな子供がいたので、そういったことには参列しなかったものの

人一倍感情が敏感だったので私には本当にありがたい存在でした。

 

ましてや私の両親はスパルタな部分があるので、

いつまでも私がグチグチしているのを耐えれなかったはず。

 

時々妹から「おねぇちゃんのことはもうちょっと待ってあげてほしい」と

言ってるからねと聞かされていましたから。

 

基本、私の妹はすっごい面白い。

「吉本に入ったら?」と言われるほどです(笑)

 

でも、私にはそれがちょうどよかった。

じっくりも聞いてくれ、同調もしてくれ、冗談で彼を怒ってくれたり。

「あたしのおねぇちゃんを泣かせやがってーーー!!!」って。

 

この時ほど、妹を産んでくれてありがとうと思ったことは

あとにも先にもないぐらいです。

(私は小さい時、妹のことが嫌いでした(笑)姉妹あるあるですね)

 

こうやって綴っていると、支える側も本当に大変だったと思います。

 

分かりにくい感情を必死に想像してみて、

少しでも元気になってほしくて必死だったと思う。

言葉にできないことを、必死に言葉にしてくれてたと思います。

 

だから今度は私がみんなが喜んでくれることを返したいなって思う。

 

それが何かは今は分からないけれど。

 

一人で生きてるんじゃないと、教えてくれたみんなに何ができるかな?

 

今はこんな風に思えるようになりました。

 

だから・・・

たった1ミリでも、足が動いたなら

それはご自身にとって大きな大きな1歩だと思う。

 

否が応でも、太陽は昇り

あの人のいない時間は増えて行く。

 

4歩進んで、3歩下がるで私はいいと思う。

 

目を瞑ったままでもいい。

泣いたままでいい。

 

ゆっくり呼吸を整えるところから

できたらいいと思います。

 

 

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